なんて非凡な僕達と反対側にいるビッチなやつら。

きっと自分がこうしてパソコンのスクリーン画面にむかってカチャカチャしてる間に、地球の反対側のお兄ちゃんとお姉ちゃんはブラジルの灼熱の大地の上で流す汗と葛藤しながら、嘸かし豪快なセックスを繰り広げているのかもしれないと考えると。安っちいウイスキーと一緒に思想にふけっている自分なんかとは違って、その一瞬の幸せを噛み締め合っているんだろうか。アメリカのハーバード大学の生徒たちは今でも図書館に篭って寝る暇を惜しんで勉強をしているのか。何を隠そう、自分がみっともなくて仕方ない。

この数週間も全く学校にも行かず、働かず、親のスネをかじって日々のおままごとに勤しんでいる自分が何だか地球上の何よりも惨めに感じてしまう。スマートフォンは日々の生活に欠かせない。現実逃避をするには持って来いだ。読書は続く。本だけが自分のことを何もかも知っている親友かの用に身近に感じる。それはきっと活字一つ一つを自分の都合の良いように飲み込んでしまうからだ。ダメな自分を罰するにはウイスキーとタバコが持って来いだ。でもお金が無いからジャックダニエルは控えておこう。こうしてまた日曜日が過ぎていく。僕の大好きな作家サガンは日曜日が人生で一番苦手だったらしい。自分を自分で紛らわすことができない、そんな何光年にも続く時間に耐え切れなかったのだろう。彼女は日曜日のほとんどをベッドの上で過ごしていたらしい。まるで自分そのものではないか。いや、かつてのサガン現象を起こした程の女性を自分に例えるなんてもう頭が上がらない。とんだ自己陶酔だ。

もし地球上の全人類を細胞に例えたとする。すべての生物が持つ生命の単位。小さいミクロの部屋みたいなものだ。そんな僕たちは一匹狼な単細胞(生物)とコロニーや群体といった名のもとに募ってくる奴らもいる。実に多様だ。その生き方それぞれが。細胞を構成しているDNA の中にある遺伝情報が時としてタンパク質などの機能物質へ変わっていく。代謝は物質を美味しく頂いて、細胞の構成要素の構築やエネルギー生産をしたり、副産物を放出したりするらしい。これは恒常を維持する上で基本的な行為らしい。つまりこれが生きてるってことらしい。あれ?自分が生物の基本的活動しか行わない、人間でもない動物にしか考えられなくなってきた。

細胞はアポトーシスネクローシスという2つの過程を持って死ぬらしい。簡単に言えば、後に生まれてくるであろう細胞のため(あるいは他の細胞治癒のため)に死ぬか、他細胞に迷惑をかけて死ぬかってところだろう。*細胞関係は全くの素人なので覚えている範囲だけで書いているのでご容赦。僕はアポトーシスネクローシスという言葉の響きが実に好きだ。それだけ。そのためだけにこんなに長い前置きを書きました。

この数カ月は世間体「何も考えていないような」行動ばかりをしてきた。毎週バーに行って挙句の果てに店員と仲良くなりすぎたり、とあるカンファレンスに出るために仙台に行ってゲストハウスに行ったのはいいのだがお金を使い果たしたのでゲストハウスで働かして頂き何とか東京に帰ったり、うん十万もする新しい自転車を買って乗り回したり、バックグラウンド無しであらゆる分野の勉強を試みたものの結局手付かずになり手元に残ったのは英語だけだったり。本当に学生って何でもできる。いやなんでもできるという表現は間違っていて何をしても基本的に誰も何も言わないといった方が極端で核心をついているように感じる。

仙台はカンファレンスはつまらなかったけれど、それ以上の経験は見渡せば見渡せる限りたくさんあった。とある有名な写真家に出会って「芸術」といわれるものに触れたり。その写真家には非常に申し訳ないのだが、やはり思考のレイヤーの次元が高すぎて僕なりの解釈は申し上げにくい。これから美術とか芸術に触れる際には、こちらもそれなりの敬意を払わなければならない。ということを教わった。
あとは被災地に連れて行ってもらった。でもここではそこに行ってそこの空気を吸って、そこにいたであろう人たちを浮かべ、そこにあったであろう建物を浮かべたという事実だけを記しておこう。知識の欠片もない、自信過剰の一青年が無責任に行ってはいけないこともある。そこにはきっと「歴史と想い」が語られている。僕は限られた時間でそこに触れて行かなければならない。それからだと思った。自分の答えはまだ出ていない。「1月にまた行こう」とオーナーと約束を交わした。下旬にまたお邪魔する予定。
ゲストハウスでの出会いと仕事は僕を普通の人間として改めてくれたと思っている。なんだかんだ言って人間は遊びと仕事という二つの純粋要素が生きがいとか人生の8割以上を占めているといっても否定はできない。矛盾を承知で言えば、その2つを新しい何かとかき混ぜてオリジナルっけをなくせばいいだけ。この世にオリジナルなんて1つとない。アインシュタインは本当のクリエイティブはどれだけ他人に悟られないように、模倣をできるかって言ってたしね。ところで、仕事はいたって単純。トイレ掃除、風呂掃除、ご飯の支度、その他雑用。正直最初はバカにしていたけど、これも運命。カントの言うところの教育をまともに受けてこなかった動物以下の僕が人間としての行動を一から改める上で非常に貴重な機会を頂いた。あの場で出会った人とはたくさん飲みふけって、遊びまくった。金が底を着くまで本当に遊んだ。学生を馬鹿にする自分自身も学生なのだ。

時間は本当に平等で、僕らからすると本当に意地悪なやつだ。こうしている間にも一刻と針は刻んでいる。でもそれってきっと必然なんだよ。平等なんて言葉は所詮、誰かが作った神隠しみたいなもの。人は平等を求めて、平等にすがりつき、平等を憎む。そんな自分勝手な人間が作り出した精一杯の言葉が「平等」なのだ。平等もなにもかもそう。全部自分の都合のいいように書き換えて、塗りつぶして、ぶっ壊して、他人を責める。そのくせ "Everything gonna be alright"とか歌っちゃう。Thanks to Bob Marley!!

何も考えていないようで、実は人の何十倍も真剣。何でも考えているようで、何一つ考えていない。僕たちは実に愚かで身勝手だ。でも、一番憎いのはその悪の種を自分の植木鉢に植えつけてしまった僕自身だ。さあ、どうやって取り除こうか。これは何年かかっても取り除けそうにない。現実逃避が頭をよぎる。英語で物事を考えようとする。無意味にShitとかFuckとか言い出してみる。きっと自分のせいではないと他人を責めてみる。いや、分かった。他人は他人の好きなようにやっていて、彼らに咎められる責任は何もない。この環境こそがきっと俺自身の悪の根源を生んでいる。大◯研一は人が変わる一番手っ取り早い方法は環境を変えることとか、時間配分を変えることとか、付き合う人って言ってたな。じゃあ、日本を出てみよう。そうすれば何かが変わるかもしれない。英語が身につく。外国人の友だちができる。もしかしたら一流企業に認めてもらえるかもしれない。起業できるくらいの知恵と人脈が着くかもしれない。ん?いやもしかしたら時間が解決してくれるかもしれない。いや、もうダメだ。手元に残っているのは最新のスマートフォンとなけなしのお金。よし、ここはバーにでも行ってお酒を一杯飲むとするか。そこで言いたい放題言ってこよう。何かが変わるかもしれない。

ネクローシス

サードインパクトの終わりにエヴァ惣流・アスカ・ラングレーはシンジに向かってこう言った。

「気持ち悪い」って。

さあて、これからどうする?I need to do something specialつってソーシャルネットワークでも見るか?もっかいビリオネアになった気分でも味わっておくか?心を開ける一握りの友達でも呼んで、世の中の不合理と愚痴と愚民について語って夜を明かすか?今まで味わってきた最高のセックスでも話すか?別れた最愛の彼女の話でもして笑いをとっておくか?もう知ってんだろ。何もかも全部、不合理なんだって。今のままではお前はきっとビリオネアなんかにはなれないって。勉強。これだけが今の僕の唯一の現実逃避。俺たちにはまだ夢がある。時間がある。(ちなみにこれは別に安っちい自己啓発とか何でも無いけど)思いっきり勉強しろ。ベッドの上なんかで寝るな。ベッドの上で寝るときはお前がもう動けない時だ。死ぬ時だ。遊んでもいい。酒だって飲んでもいい。タバコだって一日何本吸ったっていい。深夜の5時に意味もなく近くのコンビニに行ってヤンマガ読んだっていい。ファッションに気を使おう今日は友だちと会うから!ってお洒落したっていい。ポジティブにもネガティブにも、それくらいじゃ誰も何も言わねえからよ。でもよ、自分の人生くらい自分で決めなかったらどうすんのよ。


“Look, I want to tell you something because you’re very dear to me and I hope you understand it comes from the bottom of my damaged, damaged heart. You are the finest piece of ass I ever had and I don’t care who knows it. I am so glad I got to roam those hillsides.”

By Roger Sterling

Mad Men Season 1, Episode 11: “Indian Summer”

追記:軽く自分とお酒に酔った勢いで書いたので誤字脱字ご容赦。