ゼロ、なにもない自分に小さなイチを足していく(笑)

肌寒い天気が続くカリフォルニア州の小さな町の小さなカフェで夜一人、数学の問題を解いていたらネット上に面白い広告が飛び出してきた。
「ゼロ、なにもない自分に小さなイチを足していく」。。。

堀江貴文著。。ゼロ。。。何もない自分。。。小さなイチ。。。今の自分。。。頭の中で21年間眠り続けてきた未だ覚めたことのない僕の「数学脳」とやらがやっと目を開けたらしい。体中の血が僕の頭へと登っていく様がはっきりと見える。何もない自分(=0)に小さなイチを足していくということは一体どういうことなのか。何もない状態からイチ、いやもしくは何かは生まれるのか。そう思った僕は即座にペンと白紙を片手にテーブルの上に置き、一つの数式を書き起こした。

0=0

(いや、ただただ数学の宿題から逃げたかっただけかもしれません。)
まずはこの文章をいくつかの単語に分けて個人的な見解に基づき定義付けを行おう。その理由は第一にタイトルが曖昧だからである。読者諸君は何もない自分という状態は果たして=0なのか?物理的に何も持っていない状態なのか?小さなイチとは果たして何を意味しているのか?それは数学的に1と呼べうるのか、といった疑問が浮かんでくるであろう。細かい解釈や見解を挙げると枚挙にいとまがないので、そういった複雑な諸所の問題と疑問はテーブルの外に置いて、今回は「何もない自分」に一点集中して定義付けを行うことにする。

何もない自分とは一体どういうことなのか。物理的になにもないのか。そもそも何がないのか、それとも何が足りていないのか。足りていないのだとすれば元々すでに何かを持っているという前提が出来上がり矛盾が一つ出来上がるわけだ。つまりこれ以上自分の仮説を進める必要なくこのタイトルの反証をしてしまう。しかし、ここでこの議論を続けてしまうと結果的に本を読めという結論に至ってしまうのでここでは単純に「物理的に何ももっていない」というホリエモンの状態を想像してもらうことにする。よって0と定義する。タイトルから解釈するに、どうやら彼は何もない自分(=0)に小さなイチを足していき、今の自分(=n)がいると考えているらしい。つまり今の自分はゼロから生まれたと見て取れる。これを僕の独断と偏見で0(ホリエモン)=0(何もない)と表すことにする。もしくは何もない状態=0にすることによって何もない状態は何もない状態と言えるのか=0=0、という仮説にも何らかのヒントを得られると思う。

一通り稚拙な定義付けが終わったところで本題に入っていこう。まずホリエモンの持っている何か(=n)は何もない状態(=0)から生まれたという文章を0=0と表すことにする。これはホリエモン(もしくは自分なりの偏見に満ちた解釈)によると今の自分はゼロから生まれたという仮説を反証するための式である。

1. 0=0を0=(-1+1)+(-1+1)+(-1+1)+(-1+1)+....と書換えることができる。
2. 0=-1+1-1+1-1+1-1+1-1+1-1+1...括弧を外すと左のような式になる。
3. 0=1+(-1+1)+(-1+1)+(-1+1)+(-1+1)...数字を入れ替えると以下の様な式に書換えることができる。
4. 0=1 上記の(-1+1)を0としてみなし消しとると、左の式が出来上がる。
5. 0=1、つまり何もない状態ではなく、もともと1から小さなイチを足して今の彼がいると考えられる。
6. よってホリエモンの仮説(いや俺の?)は反証(笑)されたこととなる。きっと。。

一息ついてペンを置いた僕はカップに残ったコーヒーを一口で飲み干し一言こういった。

「人生もこんな楽だったらいいのに」

追記:ここまで書いたのはいいのですが、書いてる途中に後々気づいたのですが数学的にゼロ(=0)というのは必ずしも何もないゼロという意味ではないのでこの反証可能性は大いにあるという事実が発覚致しました(笑)しかしゼロが必ずしも物理的にゼロではないとするならば、そもそも表題に挙げた「ゼロ、何もない自分に小さなイチを足していく」という意味自体に矛盾が生じ、僕の仮説とは別に反証が可能になってしまう。まあゼロが物理的にゼロかどうかということ自体がそもそも曖昧な定義であって、ホリエモン自身が「これはゼロだうんこ!」って言ったらその時点でゼロなんだけどね(笑)いや、正直言うと数学が思うとおりに上手く行かなくてイライラして他人の格言に八つ当たりしただけです。僕は間違っています。ごめんなさい、堀江先生。