意志を持つ

人で混み合うスターバックスでラテをすすりながら一人で教科書を見つめている学生を見て、初めてカリフォルニアに来た時のことを思い出した。

大学2年の夏、学校にはほとんど行かずインターンと課外活動だけに力を入れていた僕の背中を押してくれた先輩の一言が僕のカリフォルニアの大学に行く大きなきっかけだった。インターンが終わり家にいる時間が多くなると、日中は本を読むか、ネットサーフィンを繰り返して酒を欲して夜の街を歩きまわるようになった。そんなときに一緒に働いていた先輩と飲みに行くことになった。酔いが回ったせいか、僕は彼らに自分の今までと悩みを包み隠すことなく語った。UC Berkeley卒業の先輩たちは一言僕に海外の大学に行くことを僕に薦めた。グラス一杯に入っているビールを気持ちよく飲み干しながら、出会った数々の仲間たち、環境、そしてこれからの目標を僕に語ってくれた彼らの姿を今でも鮮明に覚えている。そんな人達と環境、自分が好きな英語でモノを語って夜中まで熱中になって仲間とともにプロジェクトを進めている自分の像が浮かんでくるたびに興奮を覚えた。何よりも、外見とは別にそれを語りながら自分のこれからを着実と計画している彼らの姿が何よりもカッコ良かった。それからというものの、僕は約2ヶ月間図書館に篭って大学のリサーチを始めた。必要な資金、やるべきこと、手続きなど、必要な事柄を一つ一つ絞り出して親を説得させようと決めた。父はそんな僕に「必要な資金を出来るだけ正確に出してお母さんに伝えなさい」と一言、日本を去っていった。

赤い落ち葉が道路脇に目立つ秋の途中に僕はやってきた。緊張も興奮も特になかったが、自分のこれからには多少の不安があった。DVCに通い始めてからは僕は一人、バークレーに入ることだけを考えてリサーチをしていた。DVCのシステムを全く理解していなかったために、クラス取りに失敗していた僕はこれからは情報なくしては土俵に立てないと学んだ。せっかくのチャンスを見逃す気は最もなかったが、情報がなくてはチャンスの有無すらも分からない。そう思った僕はDVC全般、バークレーへのトランスファーに関するあらゆるウェブサイト、カウンセラー、Reps、友達を通して出来るだけ情報を集めることに専念した。

春セメスターへと学期が変わり、クラス取得や生活リズムに落ち着きが見えてきた僕は課外活動について考え始めた。TA (Teacher Assistant)、ボランティア、大学との共同事業、クラブ活動、セミナー企画等、インターンシップ。誘われたものは一つも断らず全て挑戦してみた。何個かは話が流れてしまったが、授業の合間を見付けてはDVCのあらゆるクラブのオフィサー選挙に飛び入りで入って会ったこともない人を手前にスピーチをし続けた。その中でタイミングもあってかISC ( International Student Club)のVice President Externalとしてポジションを勝ち取る機会を得た。と同時進行で友人と進めていた日本クラブの再設立を計画している中、僕はプレジデントに抜擢された。そしてセメスターが終わりを迎えようとする夏の始まり、ISCの現プレジデントが今期を持ってポジションを降りるとの報告を受けた。僕の中で何かが微かに光り始めた。

暑い夏の始まり。夏セメスターが始まった。微分積分と経済学に苦労していた僕はプレジデントの一件はすっかり頭の外。ただただAを取ることだけに専念していた。クラスのFinal Examが終わると、僕はカリフォルニアまで来た家族とともに旅行に出た。家族という枠組みを飛び越えて温かさと儚さを学んだ。「何ごとにも意志を持ちなさい」叔父さんが頂いた言葉を思い出し、父の言葉と重なった。「自分は何のためにこの大学にきて何を目標としているのか。意志を持って最後まで努力し続けなさい」父の眼差しはいつも異常に熱かった。絶対にバークレーに受かってみせると決意を改めた。

夏の熱気がまだまだ残る秋のカリフォルニア。あれから早くも1年が経った。そして僕はこうして6つの授業と2つのクラブのプレジデントをつとめてながら壁を一つ一つ乗り越えている、そんな気がする。僕は家も含めてプライベートの時間が圧倒的に少ない。2つもクラブのプレジデントをやっていると、どこにいても必ず友達か知らない人に話しかけられるからだ。また、いつどこで何をしていても2つのクラブのメンバーの進捗状況を確認し、次回のイベント(もしくはプロジェクト)に向けて自分が漏れがないか確認をする必要がある。加えて、プレジデントとして1クラブにつき一回、General Mtgでスピーチを用意しなければならない。そして23単位のクラス。これは後からわかったことなのだが、6つも授業を取っていると毎週テストかエッセイの宿題があるのだ。週に2回のクラブスピーチ、メンバーの進捗状況確認、問題処理、クラス、テスト、エッセイ、その他宿題。生徒に新聞インタビューの機会を貰うなど、公の場に出始めると自分へのプレッシャーが余計にのしかかってきた。中でも一番、辛かったのはクラブメンバーとの人間関係だった。問題が起き、組織としてどうまとめるのか如何にして人の意見をまとめるのか。そして自分には人を先導していけるだけの素質があるのか。(このことはまた今度詳しく書こうと思う)僕には何一つなかった。テストが牙を見せてくると、僕の体調に異変が出てきた。まず一日一食の生活に変わり、夜はコーヒーとレッドブルを片手に気絶するまでタスクをこなすこととなった。胃が痛くなり始め、ヘルプス、頭痛と今まで体験したことのない異変が次々と訪れ始めた。組織のリーダーとしての顔と友達としての顔を維持するのが難しくなり、そっけなくなった。結果、人間不信かのように人の裏を読んで誰も信じないように心がけるようになってきた。

そして3週間にも渡る長い中間テストが終った。今週は久しぶりにテストが無い。テストの結果もあってか体調は徐々に回復し、友達との和も広く深くなったと思う。そして僕はまた新しい壁に立ち向かっている。パーソナルステートメントだ。自分をもう一度、見つめなおして自分自身との対話に耳を傾けなければならない。でも僕はこれからももっと辛い道を歩んでいきたいと思う。夢や目標を持つということはその数の倍以上の課題と暗闇があると思う。23単位と2つのクラブのプレジデントをこなすというのは中々忙しく華々しい生徒だと思うが、その倍以上に自分との暗闇と向き合ってきた気がする。ただそういった機会に恵まれたのか、それなりの人望や友達の和を持つことを少し学べた気がする。

僕は何も自分の生活を賞賛しているわけではない。僕は根っからの面倒くさがり屋で仕事は如何にして人に投げるかだけを考えているようなウンコ野郎だ。出来ることならば家でずっとDebussyのClair de luneでも聴きながらコーヒー片手に本でも読んで毎日を過ごしたいが、どうやら退屈っていうのも俺の癪に障るようで、つまり僕はどうしようもないやつってことだ。ただそんなやつでも何とかやってきたということを振り返ってみようと稚拙ながら書かせていただいた。僕はこれからもまだまだやらなければいけないことや、やりたいことがたくさんある。正直なところバークレーに受かることがそんなに重要なのかも自分の口で説明できない。ただ僕はこれからも頑張ろうと思う。人は最後まで、いつまでたっても人だから。