反骨精神ならぬ自己肯定化は根源的に凶悪のなのであります。

ゴールデンウィークとかっていう旧ブルジョアジー的ファッキンウィークが終わってみんなが「こんなゴージャスなところでバブリーな買い物して、ご飯食べちゃってる俺マジかっこ良くね?世間体基準からちょっと外れてるゴールデンウィークを過ごす俺マジで生かしてるっしょ?」「そんな俺ってマジかっこいい(かわいい)」と。挙句の果てに「仕事の間の息抜きは大事だ」とストレートに言えばいいことを敢えて遠回しに数十年前の古い国民データとか持ちだして日本人は働き過ぎだからたまには休憩を論を平然とぶちかましてるやつが俺のFacebookのタイムラインを埋め尽くしている次第に最早友達/知り合いの好としてイイねをポチする他ないという、この集団的圧力ともならぬ、強制を日々受けているのでございますが、皆さんいかがお過ごしでしょうか。他人と違うことがしたいとか変に都合よく自分を差別化したいからとか、リア充アピールしたいからとか承認欲求があーだこーだっていうのは俺が思うに、議論のレベルが低くて結果大小なりあるコミュニティへの反抗を自己肯定化させたいだけなんだと思う。さすがにやつらも度が過ぎた反抗的な行為は経済的に不効率ということに気がつき始めたのか、ヤンキーとか不良って最近全然見ないけど、ああいうのが典型だよね、うん。そのエピソードを常に人生の何処かで持っておきたいわけで、もっと重要な人生選択においては(仕事とか、家庭とか)進んで周りの流れに身を任せちゃう。そのくせして後輩とか年下とか要は俺達よりも上の世代のやつらに限って自分の選択して来なかった限りある機会費用について酒をおちょこいっぱい啜りながら語り始める。良くも悪くも作ったのは紛れもなく我々人間なわけでそこにある種の陰謀論がちらりと姿を見せているような気がしてたまらないのです。少なくとも黒幕くらいは知って溺死してーと思うのです。ゴールデンウィークそうそう2日酔いで頭痛を抑えながらつまらないことを書いて俺は最近ハマっている吉野家の牛丼大盛りとポテトサラダ和風ごまソース付きとお味噌汁を食べようと親が帰ってくるのを待っているのでありました。