留学生は人的資本として付加価値になるのかな

どうもVISA申請の方が面倒くさすぎて全くもってやる気がしない今日この頃です。向こうでのクラスが始まる8月16日の30日前より正式な出国許可が降りるらしいのでそれまでに残されたタスク(HOUSING、VISA APPLICATION、TICKET RESERVATION、etc)に勢力を傾けつつ、残された時間で送迎会と簡単な勉強を含めて上手くスケジューリングを行なって気持ちよく出国したいものです。日本での大学生活は既に後半へと舵をきっており大半は就職活動への準備と入るわけですが、私について言えば再入学をするようなもので凶と出るか吉と出るかは全く未知数なところ。何ごとも行動するなら最速でというモットーが一番なのはもちろん当たり前なのではあるのですが、どうなのでしょうか。どうも合理的すぎる選択がしてたまりません。まあそれはそれでいいのかもしれない。

日本という国で日本という思想と思考を植え付けられた環境で過ごしやすいのは日本人というのは紛れもない事実であります。GDP国債ともに8割型が国内由来である日本において、いくら我々もしくは黄金時代を背負ってきた親父さんたちがタバコをプカプカ吹かしながら「これからはグローバル時代だ」だとかどうのこうの言ったところで私を筆頭とする若者には伝わらないと思うのですね。というのも留学経験があった私は一部の例外として置いておくとして、高度経済成長期を終えた日本が今でもアメリカンドリームを追っているようで気がならないのです。現に現地アメリカ人達も自分たちがモデルになっているだろうと思っているはずです。とは言っても世界中のお金の大半は国際的な交易によってもたらされているというのも一つ事実であるわけです。人口に応じて市場にも少子化が影響せざるを得ないであろう日本で国内ビジネス主体で食っていこうとするということは、言うならば世界中の亡者たちに食い荒らされた後のピザを日本人同士で喰らうようなものです。アベノミクスによる金融緩和によって円高是正が施された今でこそ、国内<国外であればあるほど輝ける場は多いのではないでしょうか。ということで英語喋れるか喋れないかという質問においては喋れたほうがいいわけです。ただ前述したとおり、国内において第2外国語としての英語を喋れるという事実的な能力開示の機会があると考えたとしても実際にその英語をコンスタントに使用する機会があるのは日本では世界発展している重工業、プラント業言ったエンジニアと外資系の一部であり、それ以外の企業では単なる構成要素の付加価値としてか見なされていないような気がしてたまりません。

留学は社会的需要を満たした人的開発、確保のための合理的な選択としてあるのではないかと考えている。言うなれば大々的な投資行為のようなものであり、そこに見合った資産を持って帰ってこなければ投資対効果の期待値は低いと考えられる。投資対効果(=留学価値)は圧倒的に第三者基準、言い換えるならば社会基準で考えるべきである。留学を通して学位を取得しその布石を辿って(通常では成し得なかった)選択肢とステップを取る。これが留学生の大半の常である。ただあらゆる選択は自然淘汰されることと同じで、部分的ではあったとしても社会的需要は変化を伴うものであり、必ずしもそこに留学が満場一致で当てはまるとは言い難い。相対的な学費(留学費)の上昇、国内全入時代及び全てを教育ローン。つまり人材ベクトルにおける需要と供給の関係は需要<供給になっているということだ。なんせ大学卒業生ですら就職困難な時代アメリカでも既に起きているのだから。まとめると、これからはジェネラリスト<スペシャリストの方が価値を持って受け入れられそうな気がする。それは今までの人的資源の需要が数十年という年月をかけて変わってきているからっていうのは事実だし、実際に長期的な海外経験のある方たちの話を聞いても同じ答えが出る。合わせてそれなりの準備は向こうでもする予定だが、職に応用出来るまでの技術にまで持っていくか否かはまだ決心が付いていないのだ。さて、あと2時間でバイトだ。