アメリカ国産ブルジョアジーの討伐

事実上不可能だと諦めかけていたVISA取得の面接。緊急問い合わせという咄嗟の判断が功を奏したのか、何とか出国前までに滑りこませることが。フライトチケットも無事購入したので残された業務は留学当日まで待つのみ。留学までの予定は9割以上が決まっているので後は日本の生活を楽しむだけ。とはいっても留学において俺が一番気にかけていることが「情報不足」についてである。留学をするとなるとその国の制度的、文化的、習慣的あるいは言語的な事柄が起因となって圧倒的な過度な情報不足に陥ることが多い。特にコミカレから4年制大学への編入を狙う俺みたいなタイプは日本国産の典型的マジメ君みたいな人よりも狭い道をスルスルっと抜けられるような学生の方が入りやすい。UCBに何としてでも入ることが俺のキャリアパスを考える上で大前提としてあるわけだから、コミカレでこれを学ぶためにこうするなどというややこしい考え方はしないように心がけなければならない。どうしてもその分野を捨てきれないのであれば、2年後にもっと高い次元のレベルで学べる。または独学。この2年間ではとにかく目標に対する冷徹な取捨選択を常に考えなければならない。
結果的に世の中学歴社会。前記事でも少し触れたが、いい大学に行っている奴ほどお金をたくさんもらえるわけだ。もっと言ってしまえば、その家庭の文化資本にも依存する。選択と機会費用、実現可能性というテーマをごっちゃにしてはいけないが、結果将来俺が日本で働くにしたって海外で働くにしたってそんなことは今決められることではないが、留学はかけたコストに対してその費用対効果が俺のキャリアパスに推測通りに比例するかが正直不安である。つまり俺が何を言いたいかというと、世の中には文化資本と個々の努力と想像という2つのベクトルがあってその2つの依存度によってキャリアパスが変化するのではないかという俺の持論だ。俺がどうあがいても俺の履歴書を更新することは出来ても変更することは出来ない。それはそう仕組まれたわけでもなく、そう教えこまれたわけでもない。ただ、そうであった。そういう選択をしてきたというだけだ。俺は選択と機会という観点からみても俺は割りと恵まれている方だと思っている。そう思っているのは俺が頑張ってきたからではなく、俺の家庭の文化資本保有率が多少なりとも平均上だったからだ。ある程度の情報とその情報を頼りに実行することの出来る財力があったからと言い換えることができる。アメリカに行くということは上記のレベルにおけるさらに上流階級のやつらと付き合うようなことだと俺は勝手に考えている。厳密にそれは統計学的な誤差があるにしても先進国トップのトップ大学に行くのだから。話は戻るが、では俺がこれから何をすべきかと言うとそれは俺自身の想像による問題とその解決に向かうための努力これに尽きるだろう。簡単なようでこれは結構骨が折れる作業だ。留学するにおいての自分の意志が決まった。=アメリカ国産ブルジョアジーの討伐