とりあえず眠い

書くことがないんだけどやりたいこととやらないといけないことに挟まれて毎日朝から授業で平均睡眠がどんどん薄くなってるから何でもいいから思ったことを書くことにする。それにしても1週間経つのが本当にあっという間ですね。こんなに忙しいと思っているのに紙面上ではまだまだやらないといけないことがたくさんあって「俺はこの1週間何をやってきたんだ」って言う風になる。ものすごく当たり前だけど授業に余裕もってついていってクイズとかテストとかっていうのはだいぶ当たり前の話でプラスで課外活動をちょくちょく探して自分で動き出さないと行けないのが大変。まあ楽しいっちゃあ楽しいんだけど。そしてもっとだるいのがその課外活動に合わせて自分の授業の時間とかその他チューターとかも調整しないといけないでしょ?でも授業でAを取れるかどうかっていうのはその先生にかかってるから中々変えられないし、むしろ何千人の生徒が何十人マックスのクラスを取りにくる訳だからそんな贅沢なこといってられるわけでもない。最早これはその辺のリーマンを超えるタイムマネジメントを強いられるわけです。この辺までは全くかまわないんだけど、前述したように個人的に勉強した分野とかふざけたこと言ってると週末すらも時間が取られて一日中家にこもってスクリーン前でシコシコやらねーといけないはめになっちまう。やっぱりここはジムに契約をして定期的に外に出る口実を作らないといけないかもしれない。そういえばタバコを辞めてもうすぐ1ヶ月経とうとしている。俺の周りの友達は電子タバコぷかぷか吸いやがるやつアメリカ人と、授業遅刻してもタバコ吸い続けるよくわからない中国人とか、ひたすら家にこもって大麻すってるうんこやろうばっかりだけど、こんな環境の中で未だに禁煙が続いている自分が信じられない。辞めたからと言って特にストレスを感じる訳でもないし、食欲も増えるどころか正直食べる暇がないのでひたすら水を飲んでなんとか押さえたり。
そして今年の秋にはついに志望大学への申請が始まるわけなんですね。つまりどういうことかというと、ついにパーソナルステートメントというなの悪魔のBachelor Partyが始まるわけなのです。このマザーファッカーを書くためにいろんな課外活動をしなければいけなくてただすればいいというわけでもなくて、自分のメジャーとか自分の哲学とでもいうのでしょうか。そういうやつに合わせて塾考した上で書かないといけないーあー面倒くさい。まあこんなのは当たり前なんだけどね。でも日本語とか英語とかそういうのに関わらず、文章を書くってすっごい難しくてそれなりの読書量が課される。俺は残念ながら人並みに文才がないからこうやって乞食文章しか書けない訳なんだが、やっぱりそういう能力があるやつには純粋に嫉妬しますね。後半で曖昧にした文章を書く能力とか文才とかって言ってたけど、世間上はともかく俺の言っている文章を書く能力ってのは文才とかっていう何気ない仕草とか材料を冷たい目線差し入れするような小説家の文才じゃなくて、単純に自分の伝えたいことをかけるっていう能力の話。自分の頭使って文章書くときって絶対、タンスから主張やそれに付随した予備知識を引っ張ってこないといけないわけでそれをうまくつなげるのが中々骨が折れる作業な訳だ。俺はそういう意味では参考になる文章に関してはエコノミストに一票を入れる。俺は基本的に文章のうまさとかって完璧な主観ベースで考えるけど、エコノミストの文章って記事にしては短い部類だと思うなかれ。1回読んだだけで端的に何が起きて何が予想されるか、これが何の影響をもたらしうるかがすらっと入ってくる。やつらがどれくらいの時間と労力を削ってこの文章を書いているかは分からないけど、ジャーナルである以上やっぱり一定の早さは求められる訳で。ジャーナリストと政治家がつながって裏工作をしながら政治を下支えする両者の表裏を覗き込むHouse of Cardsっていう俺の大好きなドラマがあるけど、ネタを拾う、読んでもらう(いやすい)文章を作るっていうのを確証たる証拠を集めながら一記事書くってのは相当なモチベーションのある暇人じゃないとできない一芸なんじゃないかと。
俺は書くことに関しては恐らくだいぶ稚拙な方だと思うけど、俺みたいなやつって基本的にオフィシャルで書くときって何をかくか大まかな構成を練って紙にアウトラインにして書き出して書くトピックベースでまたブレストして面白いネタを出し切れたかを自分なりに絞って確認した上で書き始める大体1パラグラフ書くことに流動的に流れ込んできた面白そうなネタがないかをチェックしながら。要はパソコンのWordを開いてカチャカチャ書きながら、もう片っぽでは紙の上で自分の頭の中を視覚化しながら文章を書く訳だ。俺は今までこの方法でほとんどのエッセイを切り抜けてきたけど、かくたびかくたびに自分の思い描いているところと乖離しているわけだ。んでそれは何かと言うとまず第一に単純に語彙力が欠如している場合が多い。書き言葉は話し言葉とは違って静かな字と書いて静字みたいなもんで、言葉に左右してコンテクストが動く会話とは違う。会話って言うのはちょっとブレストみたいにお互いの予備知識のひねり合いみたいなところがあるけど、文章を書くって言うのは自分との対話みたいなものですからね。ベンジャミンフランクリンが言ってた。といいうことで何が必要かと言うとやっぱり遠回りかもしれないけど、ひたすら本に触れていくしかないと思うんですよね。あとそれに付随してもう一個思ったんだけど、こと文章を書く能力に関しては、英語も日本語もあんまし関係なくてどっちがうまくなればそれに比例して片方もうまくなると思うんですよね。
ということで別に酒に酔った訳でもないのに思いっきり殴り書きでかいちゃったけど、誰にも読んでもらうつもりもないし、単純に自分の能力の無さについて愚痴っていただけなのでもしここまで読んでしまった読者の皆様は生暖かい同情の眼差しをくださいな。ということでそろそろ疲れたので寝ます。