とりあえず寝よう

別にこういうことを考えるのはあれなんだけど例えば自分の本を読みたいとしてそれを英語か日本語か読むか悩んでてまあ、どっちも読むっていうのもありなんだけどそれははっきり言って時間の無駄だしじゃあやっぱりまあ日本語圏で育った期間の方が長いしわざわざ英語で読む必要ないのかとか日本語がどうとかそういうことを考えること自体がもう不毛な気がして仕方なくなってきた。なんか感覚レベルの話だけど、言語がどうとかってすっごく無駄な気がしてきた。んーまあ確かに英語を喋れることは役立つけどそんなに未来を感じないと言うか。んーまあ留学中にこんなこと考えるのもあれだけど。テクノロジーが発達してくと言語領域って価値失っていく気がするんだよね。

何か例えばこれは俺がイタリアに行ったときの話なんだけど、コロシアムから仏像から作品まで見てきたけど正直、これを文化遺産として残すことにあんまし共感を感じなかった。まずそれ以前にここには言語では超えられない何かがある気がした。っていうのは、その時代に生きた人たちが感じたそれなりの何かがあってそれを作ったんだけどみたいな。日本語と英語って同じ言葉だけど全く違くて何が違うかって感覚の表現方法とかその感覚自体の領域が違う気がする。例えば英語ではこういうことはこういうけど、日本語ではこれとこれはこの言語ですむみたいな。なんかそういう感覚ってきっとギャップがあってそういう領域を表現できたらと思った。まああまりにも抽象的すぎてまだまだ考える必要が。とは言ってもそれを表現するための技術が必要だし、まだまだ考えてみる余地はたくさんありそうだ。過去の書物に頼るとしよう。まあっていうか、そういう全くよくわからないことをして生きて見たいなと思っただけだな