留学計画を豪語する人たち

自分が留学経験が2回あることもあって友達からよく「海外に出る」ということを聞かれる。だいたいこういうやつらには共通している点がいくつかある。今回は独断と偏見で選び抜かれた数々の豪語、その特徴について触れつつ、外にでることについて考えてみたい。そんな見解が自分を振り返って何かの役に立つのではないかと思った次第である。もう一度言うが、これはあくまで経験に基づく独断と偏見であって、留学そのものを批判しているわけではない。

第一に奴らが考えることは「環境」である。環境を変えることが自分を帰る一番有効な手段だと考える。それを人に相談して回るのだ。いやはっきり言わせてもらうが、相談と言う相談はピチピチ大学生の間ではあり得ない。自分の意見を肯定してもらうために、サポートを欲しているだけなのだ。どういうことか。まず前提として、日本の大学生は比較的同じメンバーと行動をともに傾向がある。思考回路が大体似ているようなやつらと大学生活の大半を共にする。相談相手に聞いてもらうことで自分では考えつかないような新たな言い訳と妥当性を割り出そうと考えているのだ。その一番の手っ取り早い手段が環境に責任を転嫁してみることなのである。
まず一つ言わせていきたいのは、大学生にもなって環境を変えようとしてもあなた自身が変わらない限り何も変化は起きないということだ。高校生までは環境の変化が自身の変化につながることもあったであろう。それは無知によるものでもあるし、ある程度生徒自身が同じ時間帯の上で拘束されているため、みんな同じように見える。他人と違う経験があるやつはいい意味でも悪い意味でも度外視される。自分自身高校時代に留学経験があったというだけで、アメリカのミーハー気取りだととらえられたこともあれば、一度受験シーズンになるとすべて分かったかのように「あなたはアメリカにいたんだから、英語ができて当たり前でしょ?」みたいな目線でくる。自分ははっきりいって受験程度の英語ではウォーミングアップ程度にしかならないレベルの英語はあったが、何はともあれ客観的目線からそういう都合のいい目線で見られる。

留学して自身が変わった人に共通するタイプは1つに絞られる。独断的と言っていいほどの自信と目標。そしてそれを裏付ける努力を陰でしていることだ。僕の経験上、あっこいつできるっていうやつは基本的に極端にトークティブなやつかコミュ障なやつだ。なぜか分からないが、きっとこの基準を超えているやつが多いのだろう。目標設定の時点で意味も分からず地頭を発揮したり、方法論に行きたがるやつ正直大学生にもなってと思うばかりである。そういうことを人に話しているやつは基本的に自分にも甘い。はっきり言うが、英語に然り、学問習得に然り、習得すると言うことに方法なんて言うものはない。そういういことが理解できないのか、言い訳を作って遠回りするだけ頭が良くなってしまったのが知ったことではないが、大学生にもなって一つのことに努力できないやつは基本的に留学しても何の意味もない。もう一度言う、環境が彼らを変えたのではなく、環境の先に目標があっただけなのである。その目標に向けて忠実に努力を続けられたやつが初めて「変わった」と気づくのだ。

一つで大体ポイントすべて書いてしまった。ちなみに自分がこの結論に至ったのには周りの「出来る奴ら」からの地肉化されたアドバイスがもととなっている。意思を持っていれば環境なんて関わらずどこにいても何でも出来る。考えてみてほしい。留学はしたいけどそれにかかるお金と時間が足りないから、ワーホリに行く。みんなそうやって物事を短絡的に考えてくれるから、ワーホリはビジネスとして成立するのだ。たいていのビジネスはバカと常識の欠如が起因する。困ったことに資本主義ではそれが善とされる。それがいいことでもあったりするんだけどね。

物事を複雑に考えようとしなくてももっと単純に意思を持って一つの目標に向かって努力を怠らなければそれなりの場所までは持ってきてくれると信じている。そこからは正直いって需要と運の要素が大きい。それをしないやつが大半だから世の中は成り立っている。