夏の授業が始まったのでちょっと振り返る

新しい教科書と先生ともしかしたら会えるかもしれないピチピチの女の子という淡い期待とともに、夏授業の針が動き始まりました。3週間、6週間、3週間のうち6週間は授業、最後の3週間は家族がこっちに偵察しにくるとのことなので恐らく一人でシコシコ独学なんてことをやっている暇はこの6週間くらいしかないですえ。秋のセメスターはクラブ活動と7コースのクラス(一番取りたくないでも取らなきゃ行けない英語の授業、数学微分積分の応用発展、経済学、音楽イントロ、アメリカの歴史紀元前、カリフォルニアの歴史、そして日本の大学の成績の関係で取らないといけないフランス語)だけなら、まあそこらの日本にいる学生団体とバイトと授業で結構成績がいい学生に郵便配達のバイトを加えたような加減です。しかしここにパーソナルステートメント執筆(11月までに全志望大学に提出)が入ってくるともう日本では物理的にも精神的にも起業当初のイケイケサラリーマン並に波に乗った忙しさになるわけです。今でさえ、結構ぴったしだけど俺やってけるかな。今からものすごく不安になってきた。週末の使い方にすべてがかかっている。。

夏の授業はというと微分積分と経済学だけなのですが、何せ授業のスケジュールがおかしい。朝8時半から経済学の授業が始まって夜の8時15分から10時20分まで数学の授業という俺の頭の辞書では一言で修飾できないレベルのスケジュール。その間に昼寝を取ろうと思うと本田が昔どっかで言ってた「他の人が休んでいる時間に自分が何かをしてその分成長できるなら俺はやる!!!」みたいなこと言ってて俺もそれに刺激されて寝れなくなって結局授業の宿題に時間を費やししまう始末。それはそれでいいのかもしれないけど。

前どっかで出てた本田の影響で毎日がじわじわと本田化してきている気がする。あんまし精神論とか語るのは好きじゃないけど、持つと持たないのはまた違ってくると思う。俺だって無駄に何か気分転換に統計やるみたいな天才じゃないし、数学のバックグラウンドが欠けすぎててあまりにも統計やるのが難しすぎてしょっちゅう壁にぶつかるけど、授業に行きながらサイドワークとしてこんなくだらないことを続けられるのは2、3年という年月をかけて統計学を押さえてRを使いこなして大学卒業までには計量経済学に入って大学院に持ち込むか、就職するのか、それとも物理や金融工学みたいな礎と立ち会いにいくのか。それとも結局どこかで諦めて数十年後のリーマン飲み会の席であたかも知っているかのように経験と浅はかな知識を漏らすはしたない男になるのか。そうやって未来のあらゆる期待と不安を考えながら日々を生きていないと、俺の場合は「努力」なんていう行為は続かない。

前に本田がこんなことを言っていた。

この一言がきっかけと彼のファンになった。Easier said than doneという言葉が英語の世界にもある。日本語で言うが易しというやつだ。スケールにもよるが、たいていのことはやりきるということが難しい。というかたいていのことに「やりきった」というポイントがどこにもない。社会に出れば自分が他人と比較される。他人と比較されてから自分が今を頑張ったのでは遅すぎる。そこで勝つ自分を何年も前から想像して地味な作業も怠らず、準備してきたやつだけが勝てる。そうやって自信をつけていく。そうやって自信をつけてきたやつはリスクを取る。リスクを取ると問題が生じてくる。でもそのリスクを取って成功と言えるくらいのポイントに達したときの味を知っているからその期間を地味な努力で埋めることが出来る。

それでついでだが、僕は思うのだ。人間の世界の根本というものは昔から変わっていないんだろうかって。リスクをとって地道な努力で進んできたやつが勝つという鉄則だ。この広大な地球が誕生してから46億年という月日を経てもこのシステムは変わっていないのだ。村を作るにしてもビルを建てるにしても、現状に満足しながら自分たちの労働価値をかすめ取る貴族にイラっとした市民が発端となったフランス革命も、黒人に対する差別を止めようと立ち上がったマーティンも。自分が悩んでいるということは大抵、現状に対する不満に他ならない。それどころか、自分たちの世の中はこのシステムやルールを忘れさせるには都合の良すぎるものを作りすぎてしまった気がする。「明日がある」からではなく「明日はない」から今やるしかないと日々考え続けるしかない。

みんなが都合良く努力を続けられる人間だったら世の中はこんなに不便ではないと思う。だからこんなつまらない中二病臭い文章を読んでいる諸君はもっと有効なことに時間を使って世の中を良くしてほしい。いや、俺も勉強に戻ります。ごめんなさい。でもこういうこと書いてると自分の士気が高まってやる気が2週間くらい続くのです。笑